1990年5月14日に設立したダイビングショップ。本日2020年5月14日30周年を迎えました。
60歳目前の 矢北浩司
何故 ダイビングが始めたか:映画 沈黙の世界 を観て。
最初に潜ったのは:よみうりランド水中バレー劇場の竜宮城セットのプール。当時は東洋最大級の縦20m横10m深さ8mのプールを劇場にして水中演劇が行われてました。その劇場プールに、初代乙姫様役の役者さんと知り合いだった父親の紹介で、特別に体験ダイビングさせてもらいました。
思い起こせば40年も前:よみうりランド竜宮城が忘れらられず、ダイビングがしたくて、したくて、東京のダイビングショップ目黒区八雲にあったダイビングプロショップ「海賊の館」の扉を開けたのが始まりです。
「海賊の館」オーナーで私のダイビングの師はダイビング指導団体「PADI』日本の初代社長でした。PADIダイバーの皆さんは、ご自身のCカード見てくださいね、インストラクターナンバーは 8*****ってなてませんか。 スタートは800000 私の師匠から始まるナンバーなんですよ。日本のダイビングの歴史感じますよね。
ダイビングショップ「海賊の館」で18歳か~21歳までお世話になり、当時の先輩のお誘いでサイパン島に移住しダイビングインストラクターとして働きました。
サイパンのショップMSCにお世話になり、海の仕事の経験をたっぷり積まさせて頂き、28歳で日本に戻ることを決意し、当時サイパンで一緒勤務していた若いスタッフに声を掛け、縁あって、栃木県宇都宮にダイビングショップを設立しました。
会社設立後すぐに伊豆店城ケ崎インディーズを始めました。
ここからが私のダイビング人生の一番濃厚な時間でした。
30年も時間を経れば、物語は数えしれません。大学生の頃から力を貸してくれたスタッフは、ママになり、パパになり、設立当初のお客さんから子供のダイバー認定をお願い頂いたり。
歴代店長は独立し、伊豆や千葉で、ダイビングの仕事を続けています。彼らに海で会えるのは誇らしい気持ちです。
開業したばかりからのダイビングスタッフもおじさんになっても在籍し、海を案内してくれています。
30年の時間はあっという間でしたが、経験を積み重ね、蓄えることができたと思います。
初めて経験する困難な事態を超えられるのは、弊店と海を愛して頂いているダイバーの皆さまのおかげです。
心から感謝の 30年の節目であります。
ありがとうございます。
●この記事は私が書きました
『矢北 浩司』:代表取締役、潜水歴40年、インストラクター歴35年【潜水士・日本安全潜水教育協会事務局・PADIインストラクターNo.800376・SSI No.0101J. NAUI. IANTDインストラクター・水難学会着衣泳指導員・アメリカ洞窟学会フルケイブダイバー・1990年SSIプラチナプロ5000日本人初受賞】・JCUE認定アンダーウオーターインタープリター資格
コメント